歴史
「ホテル・オーストリア」は、ウィーンで歴史的に一番古い地域に位置し、当時のローマ軍の駐屯地「ヴィンドボーナ」のすぐ隣の「ヴォルフェン通り」に面しています。ハイリゲンクロイツホーフとフライシュマルクトの間の袋小路が終わる所にあります。
この場所にできた最初の建物は、ヴォルフェン通りの真ん中にありました。今の「ホテル・オーストリア」と、反対側にある建物のちょうど間です。1457年からこの位置にあるこの家は、もともとは学生寮として「ボルサ・レオーニス」と呼ばれていました。1587年に貨物自動車製造業者で旅館「ヴォルフ・ヴァイス」の新しい家主が、この旅館を「Zum weissen Wollfen」(ツム・ヴァイセン・ヴォルフェン)と名付けました。この「ヴァイセ・ヴォルフ」は、1848年まで街の中で一番有名で、最も良い宿屋に数えられていました。
1848年の革命の年、この地所は今日のウィーン建築同業組合が買い取り、宿屋は取り壊されました。この同業組合の家は反対側(ヴォルフェン通り4番)に建てられました。これはウィーンで一番最初のネオゴシック様式の建築物の一つです。旅館業法に沿って営業許可を獲得するために、ヴォルフェン通り3番にホテル「ヴァイセ・ヴォルフ」が建てられ、1850年に最初の地主がホテル「ツム・ヴァイセン・ヴォルフ」の経営を引き継ぎました。
1944年11月8日、投下爆弾からの救助活動中にホテル内で爆発が起き、たくさんの方が亡くなり、建物は破壊されました。1953年復旧工事が始まり、1955年2月28日、ホテルは「ホテル・オーストリア」の名前で再びオープンしました。
徒歩数分で、シュテファン寺院、スペイン乗馬学校、王宮、国立歌劇場、そして大きな美術館などによって代表されるカイザーシュタット(皇帝の街)の中心部に辿り着けます。歩行者天国や、中心部にあるたくさんのロマンティックな小さな路地裏通りをぶらぶら歩きましょう。
全ての交通機関とウィーン国際空港へのシャトルバス乗り場は、ホテルの入口のすぐ前、またはほんの少し離れているだけです